番外編 沢田研二の90年代ジャケが最高すぎる
反駁に及ばない大スター。そんな言葉を聞いて、皆様は誰を思い浮かべますか。私はジュリーこと沢田研二を思い浮かべます。GSグループ「ザ・ダイガース」で華々しくデビューし、先日亡くなったショーケンこと萩原健一らとのロックバンド「PYG」を経てソロに転向。当時は奇抜な衣装を携え「勝手にしやがれ」「TOKIO」等の大ヒット曲を連発。俳優としても「悪魔のようなあいつ」「太陽を盗んだ男」といった代表作が幾つもございまして、その活動・リリースは現代までに及びます(今でも毎年何かしらアルバムやシングルをリリースしておりますね)。彼の音楽を飛び越え昭和の「文化」を背負った活動ぶりは、最早アイドルの枠を優に超越し正しくスーパースターとしていつまでも君臨していると思います。
ところが近年では反体制派的活動や(2011年以降は原発反対ソングばっかりリリースしております)コンサートのドタキャン、そして激太り等の話題が先行し、かつての面影は拭われてしまったかのような印象をお茶の間に与えてしまっています。彼への正当な評価が崩れ去ってしまっている時代だと言えるかもしれません。しかしそれも、彼の「スーパースター」という大前提ありきなような気がします。「大スターがあんなことになるなんて」という部外者の勝手な落胆、そんなことは本人や古参ファンにはあまり重要でないのでしょう。彼は例えどのようになろうとも、あくまで「スーパースター」としていつまでも玉座でふんぞり返ってくれていればそれでよいのです。かく言う私も古参ファン、でこそありませんが幼少期からのファン。人生で2番目に聴いたCDは沢田研二のベスト「royalstraightflash」でした。なので(?)彼に関する数々の悪評は割とどうでもいいです。
前置きはこれくらいでいいですね。今回は番外編として彼のバブル期・90年代のアルバムのアートワークについてのコラムとなります。お茶の間に大スターとしての彼が浸透してから約10年が経過した頃、彼はそれまで以上にアルバムにセルフプロデュースの感を強めていきます。アートワークも殆ど彼の専属デザイナーであった早川タケジ氏(山口小夜子などの衣装デザインも担当した方です)と共に、早く言えば好き勝手やり始めます。それらが病的にかっこいい。サイケ・デカダン・トレンディ等多様な要素を絡ませ、ドギツくエロティックかつ悪趣味なジャケ・アートワークを連発しております。ちなみにそれまでのアートワークは↑の「royalstraightflash」を見ていただければ。どれも大体あんな感じでしたから。
では以下から時系列順にかいつまんで見ていきましょうか。番外編の癖に膨大な分量になりますがどうぞお付き合いくださいませ。
「彼は眠れない」(1989)
ハイ、出ました。なんだこれ。和洋折衷な印象のコラージュに囲まれて片目を手で塞ぐジュリー。長野あたりの古びた現代美術館の片隅に飾ってありそうな。丸尾末広を彷彿とさせるタッチでジュリーが描かれていますね。色味のせいかパッと見地味かもしれませんが十二分に異常。少なくとも「カッコいいジュリー」とはかけ離れていますが、デザインとして見れば最高すぎません…?ちなみに内容ですが、忌野清志郎とのデュエット曲があったり、ユーミン・徳永英明・奥井香など固める脇が豪華すぎる。中身だけでも名盤です。1「ポラロイド・ガール」は中年的アイドルソングしてて最高。
「ポラロイド・ガール」
「パノラマ」(1991)
純正Vaporwaveジャケの最高峰、といっても過言でないこちら。沢田研二のアートワークの中で一番好きかもしれません。アートワーク、お耽美とCG創成期がお上手に融合できてる。ディナーにスケルトン・ルナを、という感じでしょうか。ジュリーの目付きも色っぽすぎ。インダストリアルノイズバンドのジャケと言われても初見ならば疑わないかも。内容もデカダン歌謡の応酬。シングルカットされた「Spleen」(作詞はコシミハル!)とそのB面でもあった「二人はランデブー」(こちらはサエキけんぞう作…!!)が最高です。
「Spleen~六月の風にゆれて~」
「Really Love Ya!!」(1993)
さりげないロシアアヴァンギャルドの引用。そしてその上方で燃え尽きるジュリー。シンプルでいいですねー。下品すぎない美麗とはこういうもんよ、とジュリーが語りかけているようで。逆に演歌のジャケみたいなイキフンもありますがご愛敬です。内容としては歌謡曲ありファンクあり、耽美なバラードありの豪華な面子。3「そのキスがほしい」は現在でもライブのテッパンですし、5「幻の恋」は色気の塊としてのジュリーが堪能できます。
「そのキスがほしい」
「Sur←(ルーシュ)」(1995)
ここからですよ本旨は。本作から沢田はアルバムを完全セルフプロデュースするようになり、「パブリックイメージとしてのジュリーからの脱却→アーティストとしての沢田研二」としての活動をスタートさせます。TVに殆ど出演しなくなるのもこの頃からですね(前年彼は最後の紅白歌合戦出場を果たしています。真っ黄っきのヘソ出しセーターで)。それにしてもどうですかコレ。私はめっちゃくちゃカッコいいと思うのですが。悪趣味の力業ですね。一言目で「サイケ」、二言目で「フィリピンの激ヤバポップス歌手みたい」と言いたくなる。原色まみれで目が痛くなりますが、内容は意外にもそこまでド派手でない。歌謡ロックな秀作を中心に、やんちゃなオジサンとしてのポップスを聴かせてくれます。タイトル通りダリの絵画を歌詞に落とし込んだような1「sur←」から、パーカッションのジャングルぶりが絶妙な根倉ソング2「緑色の部屋」へのガタンと落ちる繋ぎが最高です。シングルカットされた7「あんじょうやりや」はクソダサですが案外和モノレアグルーヴとしてイケるのではないでしょうか。
個別のライブ映像がなかったのでアルバムのフルを…
「あんじょうやりや」(1995)
↑で述べたシングルのジャケもアルバムに打ち勝つ程の爆弾なので載せておきます。マジで誰これ。
「愛まで待てない」(1996)
前作のアートワークの世界観を踏襲しつつ微妙にブラッシュアップされた感のある作品。タイの仮面ライダーかな?とかく真っ赤ですね。エナメルな衣装でテッカテカ、変態的。頂点を極めた者とは思えませんね(褒め言葉)。内容は吉幾三や玉置浩二による作品があったりしてやはり豪華。表題曲2「愛まで待てない」はこちらもライブの定番です。全体的に軽くこなす感じでなく無骨な沢田研二を味わえますねぇ。
「愛まで待てない」(2008年東京ドーム)
「サーモスタットな夏」(1997)
沢田研二アートワークの中で2番目に好きな一品です。まずタイトルが最高じゃないですか、サーモスタットですよ。なんて汗っぽいんでしょう。ジャケもこれまで培われてきたサイケ・悪趣味をベースにしつつ申し訳程度のお耽美をふりかけたかのような。右半分を占めるメタリックでアブストラクトな彫像が本ジャケの均衡を調整していますね。内容も申し分なく捨て曲ナシです。例により表題曲1「サーモスタットな夏」はサイケデリック・パワー・サーフソングといった赴きですし、8「ダメ」はドロドロにエロティック。こちらは夏に部屋を真っ暗にして冷蔵庫を開けっ放しで聴きたい。バラードである9「恋なんて呼ばない」は沢田研二が歌うから説得力のある楽曲のひとつです。
「サーモスタットな夏」「恋なんて呼ばない」
「いい風よ吹け」(1999)
あいたたたた…。これは素晴らしいですね…。サーモスタットの紫が「東南アジアの繁華街」だとしたらこちらの紫は「裏町、風俗街」かな、と。真ん中の沢田を「武田鉄矢と美輪明宏を足して2で割った」と表現したレビューサイトもございましたが納得…。壮年スターの憂鬱を可視化させた秀逸なアートワークですね。内容はハードですけどね。ただ1「インチキ小町」4「無邪気な酔っぱらい」8「ティキティキ物語」等オフザケ系が多いのも特徴でありまして…。エネルギーが高く感じられる楽曲が多いのもあり苦笑ものです。
「無邪気な酔っぱらい」
「耒タルベキ素敵」(2000)
ミレニアムにして最お耽美ジャケが来ました。天井桟敷のポスター寄りのコラージュデザインをバックにマネキンのようなジュリー。いやマジでスーパースターじゃないとこんなカッコできないってば。前年までのアートワーク達とは別の方向に変態の舵を切ったアートワークですね。本作は二枚組で、全てオリジナル楽曲で23曲を収録。サイケな楽曲やスピードロックもありますが、何よりザ・タイガースの頃を懐かしむ1「A・C・B」に始まり23「耒タルベキ素敵」で21世紀へのひんやりとした期待感を歌い上げて締める、この流れが最高です。
「耒タルベキ素敵」
…如何でしたでしょうか。沢田研二のジャケを見ているとつくづく「アートワークは「アート」ワークなんだなぁ」と考えさせられるのですが、それが皆様にお伝えできたなら幸いです。
私が図書館で初めて借りた沢田研二のCDが「パノラマ」でした。当時は純粋にかっこいいなと反応したのを記憶しております。私の中でジャケ借りとしての廃サロンディグの起源であります。本稿で紹介した作品、割とあちこちの図書館にございますので興味のある方は探してみてください。買うとなると結構お高めですので。
ちなみに2001年以降、ジュリーのジャケは本人が全く登場しないイラストや写真に統一されてしまいます。それまでの反動ですかね。華々しかった頃のジュリーやその頃の面影のない沢田研二だけでなく、この時期の弾けてるジュリーについても思いを馳せ続けていきたいものです。ジュリーよ永遠に!
「Hello」(1994)
前述済みの最後の紅白ジュリーでお別れです。秋元後次コンビの鉄板っぷりを全く感じさせない中庸作です。